本門寺の総門(江戸時代と現在)

PSI恒例の年末「地域ふれあい餅つき大会」を行っています
池上本門寺総門(江戸時代)の風景写真と、此経難持坂の由来



安藤広重の『江戸百景』や『江戸近郊八景』にも描かれている総門は 寺社へ参詣する人が最初に潜る門で、清浄の心身にて通らねばならないそうです。
総門を潜るときの、あなたは?

五重塔、大宝塔、経蔵などと共に、戦災を免れた数少ない古建築の一棟として重要です。 簡素ながら、主柱間5.3メートルを測る壮大な門であり、近世建築様式の上で 注目すべき点が多いといわれています。

此経難持坂(シキョウナンジザカ)は 築城家としても有名な、加藤清正公の築造寄進になる。 同公は、慈母の第七回忌にあたる慶長11年(1606)、その追善供養のため、祖師堂を建立寄進し 併せて寺域も整備しているのでその折の築造と考えられます。

元禄年間(1688−1704)に大改修されておりますが、清正公当時の原型を残す貴重な石造遺構です。  名称の由来は、『妙法蓮華経』見宝塔品第十一、此経難持の偈文(ゲモン)96字にちなむ。 すなわち、末法の世に法華経を受持することの至難を忍び、信行することの尊さを石段を 上ることの苦しさと対比させ、経文を読誦(ドクジュ)しつつ上れば自然にのぼれる と言い伝えられています。

池上においでの際は、清浄の心身にて、総門を潜ってみては!。 また、此経難持坂(96段)をのぼるときは、「家内安全」など、読誦をしながらのぼると良いかもしれませんね!